こんにちは、ハルです。
今回は映画の話です。
最近、2025年のAmazonのプライムデーセールが始まったことで久しぶりにアマプラ会員に登録しました。ご存知の通りアマプラ会員は月600円で様々な映画やアニメが見放題になる神サービス。
面白そうな映画が無いかなと思って探していたら、かの戦争映画の名作『二百三高地』を発見して、視聴した感想をご紹介します。名作なのは間違いないですが恐ろしい虚無感と絶望感でした。
現在(20250717)、Amazonプライム会員ならプライムビデオで無料で何度でも視聴し放題です。ぜひ見ていただきたい映画です。→二百三高地
前回の続きです。(↓)
戦争を求めた民衆と煽ったマスコミ 熱い手のひら返し
日露戦争では「戦争を求めた民衆と戦争を煽ったマスコミ」の姿が正確に描かれます。
結局はこれなのです。いくら軍部(と政府)が戦争を画策しても、国民全員が反対している状態では開戦と戦争遂行はさすがに不可能です。
ではどうするのかと言うと、世論を操作して愛国心を煽り、マスコミを利用して民衆の怒りを炊きつけ、敵国への恐怖と憎悪を植え付けます。
ご存知の通り、これはアジア太平洋戦争と全く同じ流れです。
軍部(特に陸軍)の独断で戦争に突入したと思われがちなアジア太平洋戦争、特に日中戦争で顕著ですが、実は国民の多くは戦争を望んでいたのですよね。もちろんアメリカの情報戦略もありました。
まあ実際、日中戦争前に中国で発生した各種襲撃事件を見ていると、宜なるかなというような気もしてきます。
当時の言葉で言うと「暴支膺懲」です。
これは戦争ではない。横暴な支那(中国)を懲らしめるためのもの。そういう扱いでした。
少し脱線しました。映画本編の話に戻って、そのような経緯があっていよいよ日露戦争に突入。
最初は開戦を喜んでいた民衆ですが、旅順要塞の攻防戦で多大な犠牲が出たことは国民に知れ渡り、乃木希典の自宅は抗議する民衆で囲まれます。
家には石が投げられ、無能・恥知らず・非国民。そんな扱いでした。
一方日露戦争に(辛うじて)勝利した後は、名将乃木希典だとして万歳万歳と叫ぶ民衆。熱い掌返しです。もう彼らの手首は粉砕骨折していることでしょう。
日露戦争こそ学ぶべき源流がある
アジア太平洋戦争はスケールも大きく、一番最近の戦争という事で一般人にも注目されがちですが、真に学ぶべきは日露戦争だと感じました。
どうして日露戦争に至ったのか。そこで何が行われたのか。その結果、何を得て何を失ったのか。

上の写真は三笠公園にある記念艦三笠を紹介した文章ですが
日露戦争は、帝政ロシアの極東進出により、存亡の危機に立たされた日本が、イギリスやアメリカの支持を受け、国民一人一人が力を合わせて戦い抜いた防衛戦争
と記載されています。
まあこの「国家存亡をかけた防衛戦争」という表現は、これまた一部の思想の人からは批判されそうな文言ではありますが、実際に正しいのだと思います。なにしろロシアは120年後も同じ事やってるし。
もちろん日本が清廉潔白かと言うとそんなことは全くなく、遅ればせながら帝国主義に目覚めた日本が朝鮮・満州の植民地支配の野望を秘めていたことは事実ですが、それはこの時代ではごく当たり前のことでした。欧米列強にこの時の日本の植民地政策を批判する権利は一切ありません。なにしろ彼らはアジアやアフリカでもっとひどいことをやってますので。
この戦いに勝ったことにより、日本は独立と安全を維持し、国際的な地位を高め、また、世界の抑圧された諸国に自立の希望を与えました。
上の紹介文の続きには
・日本は独立と安全を維持し→まあそれはそう
・国際的な地位を高め→まあ不平等条約改正できたし…
・世界の抑圧された諸国に自立の希望を与えました→う……うん……
と綺麗なことばかり書いてあります。
実際には日露戦争で賠償金が取れなかったことで民衆は大暴走。あの日比谷焼打事件に繋がります。
日比谷焼打事件
領土割譲は樺太南半のみで賠償金支払いと沿海州割地がないという、日本国民が考えていた講和条件とは大きくかけ離れるものであった。
長きにわたる戦争で戦費による増税に苦しんできた国民にとって、賠償金と沿海州が取れなかった講和条約に対する不満・非難の世論が高まった。このため、9月3日に大阪市公会堂をはじめとする全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれた。怒った民衆たちが日比谷公園に侵入。一部は皇居前から銀座方面へ向かい、御用新聞と目されていた国民新聞社を襲撃した。すぐ後には抜刀した5人組が内務大臣官邸を襲撃し、棍棒や丸太で裏門からも襲った。銀座からの暴徒と化した群衆も襲撃に加わった。そうして、東京市各所の交番[7]、警察署などが焼き討ち・破壊される事件が起こり、市内13か所以上から火の手が上がった
日比谷焼打事件
これにより東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は東京市および府下5郡に戒厳令[注 7]を布き[11]即日施行、近衛師団が鎮圧にあたることでようやくこの騒動を収めた[注 8]。この騒動により、死者は17名、負傷者は500名以上。

えっと……蛮族かな?
実際、203高地を含む旅順要塞攻略戦で大量の戦死者を出し、奉天会戦でかろうじて勝利したもののすでに日本陸軍の補給線は伸びきっており、これ以上の戦争継続は不可能な状態でした。軍部もそれはよく承知していた。だから積極攻勢にはもはや出られず、ひたすら防備を固めて講和の機会をうかがっていました。
しかし当時、講和条約の妨げになるという事で、この厳しい状態は民衆には知らされていませんでした。
連戦連勝でロシア軍を駆逐したとばかり思っていた国民ですし、賠償金を取れなかったという怒りは理解できなくもないですが、さすがに野蛮すぎません?
そのような経緯をもって「実際にはもう戦争継続は無理」という実態を隠して、ロシアには「いやまだまだ余裕ッスよ?」というポーズを見せないといけないという、非常に大変な困難な講和会議の末に結ばれたポーツマス条約ですが、その後の満州国建国への布石、ひいてはアジア太平洋戦争へとつながるわけです。
その意味で日露戦争を改めて学ぶ価値は非常に大きいと感じました。

しかしこの三笠の紹介文、自治体が出している公的な文章にしてはかなり攻めた内容ですよね。アレな人が聞いたら激怒しそうな内容ではある
主演女優(夏目雅子さん)はご存命なのかなと調べた結果……
以下余談です。
203高地の主演女優であり、主人公小賀中尉の無事の帰還を待ち続けた(そしてそれは叶わなかった)悲劇の女性を演じた女優の方ですが、夏目雅子さんと言うようです。名前は聞いた事ある。
ふと今どうされているのか気になったので調べてみました。検索検索っと。
夏目は~中略~この頃より10円玉大の口内炎ができたり、激しい頭痛が起きたりするなど身体に異変が現れ始めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E9%9B%85%E5%AD%90
入院後の検査の結果、急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。
8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発した。高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引き、この時に夏目本人は退院できるのではないかというほど回復傾向になったと思われたが、翌9日から再び高熱を発し、9月11日午前10時16分に死去した。27歳没。

オファッ!?!?
203高地の公開が1980年。それからわずか5年後の1985年に、27歳で亡くなったそうです。な……なんと……。
私は世代が違うので存じ上げなかったのですが、2025年でも名前を聞くことのある大変有名な方がそんな若さで亡くなっていたとは……ちょっと衝撃を受けました。私腹を肥やすことにしか興味がないような私なぞが長生きしているというのに……不公平とはこのこと。
ということで今回はここまでにします。
今回はアマプラで名作『二百三高地』を観た感想などを書き殴ってきました。
1980年の古い映画とは思えないほどの迫力で、また多くの学びを得ることのできる映画だと思いました。2025年7月17日現在、アマプラ会員なら無料で見放題なのでぜひご覧になってください。

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それではまた。ご覧いただきありがとうございました!
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